その内容は、船の調査だ。

海に浮かぶその船に乗り込み甲板に上がると、ボロボロになった帆が風でかすかになびく、周りに見えるのは一面の海、聞こえるのは静かな波の音。
そこに人の姿を見つける。いや、正確には「人だったもの」、白骨化した遺体が横たわっていた…。
Return of the Obra Dinn

こんな光景が、解像度の低いドット絵、色は濃淡のない白と黒の2色のみで描かれている。それはちょうど、80年代のPC『マッキントッシュ』などで見られた映像を再現したようだ。
そんなモノクロで描かれる映像は、物静かな光景と相まって、不気味なものにも見える。
ゲームの舞台は、1800年代のヨーロッパ。1802年にロンドンを出航した商船『オブラ・ディン』号は、航海中に行方不明となり、4年経ってから突如、イングランドの港に漂流したという。
プレイヤーの職業は保険調査官。保険金査定のため、船員と乗客合わせて60人の身元確認が今回の仕事となる。
その解明には、ある人物から預かった「懐中時計」と「手記」が重要な役割を果たす。この道具を使って観察、そして推理によって謎を解き明かしていく、一人称視点のADVだ。
必要なのは、頭のフル回転
本作で最も重要な要素が、懐中時計がもつ「能力」である。
まず、甲板にいる遺体に近づくと自動的に時計が掲げられるので、ここでコントローラーのボタンを押すと…

突如、人が撃たれた光景が映し出される。
この時計は、遺体などから「残留思念を見る」、死んだ瞬間の「立体静止画」と「音声」を読み取るという、特殊な能力を持ったもの。ここで見る映像は「銃で撃たれる」「剣で体を貫かれる」など、人が死ぬという最も衝撃的な場面。言わば、ゲーム全編が衝撃の連続だ。

これをあらゆる角度から見たり、周りにあるものを探って「この人物は誰?この瞬間に何があった?なぜこのようなことになった?」という答えを導き出す。

そして、新しい映像を見る度に、その詳細が手記に書き記されていく。ここからプレイヤー自身が「人物の名前」と「消息」、死亡なら「死因」と「誰に殺された?」まで選ぶ。
正確な内容を書くと、3名ごとにその情報が確定される。それはまるで、コンピューターが「はい3名正解!」と言ってくれるクイズのようではあるが、この要領で手記を埋めて完成することが目的で、手記をどこまで埋めたかが進行状況の目安になる。
探るだけでなく「考える」
一つの残留思念を見ると、そこから次の残留思念が呼び起こされ、そして次、また次…と、時計を使う度に、船の各所にある「死の瞬間」に出会う。それを数十回繰り返すと全ての場面を見ることができるが、恐らく、その時点で手記は半分も埋まっていないと思う。
本作は、「探索」で得られる情報が全体の3〜4割に過ぎず、大半は「推理」しないといけない、これが大きな特徴だ。

例えば、今までに見た場面を頭の中で整理して、「この場面で甲板の上にいるのなら○○の職業、つまり人物は○○」「そこには一緒にもう一人いる、そして次の場面でいないのなら、この人物は○○で、○○に殺されたはず」、また、手記の中にある名簿を見て「○○と○○は名字が同じ、兄弟か」など。
各所の場面は何度でも繰り返し見ることができるので、くまなく探して見つける、それを推理する、場合によっては消去法で1〜2通りに絞りこんでから「たぶんこの人物…、当たった!」と当てずっぽうで通ることもある。
このように、徹底的に調べ尽くして考え尽くさないと進めない。でも根気よく続けていけばゴールが見えてくる。調べる・考える・当てるという、頭をフル回転させて進めていく謎解きが魅力だ。
モノクロには意味がある
本作は、その謎解きを引き出す要素として、前述した「モノクロのドット絵」の要素が大きいと思う。舞台は1800年代のヨーロッパであることや、誰もいない船の中を探索する孤独感など、懐かしくて寂しい、そして不気味な雰囲気を出すのに、この映像は合うと思う。だが、これは「雰囲気」や「味」のためだけではないと思っている。

本作には残酷なシーンが数多く存在する。「顔面を銃で撃たれる」「人間が大砲で撃ち抜かれる」など、まともに見ることができないようなものばかりだが、これらは全て「モノクロのドット絵で描かれる立体静止画」なので、強烈な印象が抑えられている。
逆に考えれば、この手法だからこそ、残酷なものを映し出すことが可能になったとも言える。
実は私、ホラーなど残酷な映像は苦手で、このようなシーンがあるものに触れることはできなかったが、本作はこの映像であるおかげで許容できた。もしここで「カラー」「解像度が高い」「動きがある」のいずれかがあれば、私は拒否したかも知れない。
「見せない」からこそ

そんなモノクロ画面・低解像度のドット絵・静止画はどれも、カラー・高解像度・動画に比べたら、見る人にとって情報量が少ない。そして本作は、限られた情報の中で謎を探り、推理して解き明かしていくことが魅力のゲーム。
つまり本作は、多くを見せないことで魅力を引き出す、
「見せない」ことで「魅せる」ゲーム
それが、このような映像にした理由と共に、本作の根本であると思う。
時間を忘れてじっくりと、解けなければ数日でもかけて、道を探って見つけ出し、自力で突破できたことに喜びを得る。ある意味、プレイヤーを突き放しているというか、制作側の挑戦とも取れる。
このようなスタイルは、80年代のADV『ミステリーハウス』『デゼニランド』『ザ・デストラップ』などに多く見られ、中でも当時は、モノクロ画面の推理ADV『カサブランカに愛を』という、同様の映像コンセプトの作品もある。
いわば、ゲーム自体も80年代PCを思い出す。
あの当時にあった、考えて見つける喜びを今また味わえるゲーム、と言えるだろう。