2015年08月22日

「没」が無い投稿

 先日から通販予約していたソフトが発売され、私も入手することができた。

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ディスクステーションRe#01

発売元の公式サイト:コンパイルステーション

 主に80〜90年代のPCゲームを中心としたダウンロード販売サイト、プロジェクトEGGによる、パッケージ販売のソフト。
 ゲームメーカーとして存在していたコンパイルから、フロッピーディスク媒体で発売されていたディスクマガジン「ディスクステーション」。そこに収録されていたゲームから数本をピックアップと共に、開発資料、当時の話などが追加されている。
 また#01と付いているだけに、今後も続けて販売していく予定とのこと。

 ディスクステーションは対応機種としてMSX、MSX2、PC-98版があったが、私は当時所有していたPC-98版で楽しんでいた。

 このソフトの魅力は、ミニゲームやデモなど毎号収録されているコンテンツの数々だが、ユーザーからのお便りコーナー、テーマ企画を設けた投稿、ゲームのスコアアタックなど、ユーザー参加型の企画も大きな要素だった。
 投稿は主に、フロッピーディスクや封書・葉書の郵送で募集という、今のネットで書き込むだけの感覚からすれば大変な手間だが、当時はそんな時代と共に、逆に手間がかかるから面白い感覚があったことも覚えている。

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 でも今回のDS Reを見ると、ユーザー投稿の募集はしていない、ゲームも、エミュレータによる再録のみで新作は無しと、実際に触れてみると、少し寂しいものがある。
 でもそれらを実現するには、新しいものを企画・開発しないといけないので、現状では難しいのも事実。インタビューや資料など現状でできる形で、あくまで当時のものを振り返るという楽しみ方になると思う。

読者投稿・私の場合

 それに触れつつ、実現されなかった「読者投稿」について、私が思い出したこと、今になって改めて思ったことを書いていきたい。

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 私は80〜90年代にかけて10年ほど、いくつかのゲーム雑誌やパソコン雑誌の読者コーナーに投稿を出していた。イラストは全く描けず文章のみで、ネタよりも真面目な意見やゲームレビュー的なものが多かった。
 ペンネームは「司隆(つかさ たかし)」。このブログで書いているものと同じ名前で、当時からの付き合いになる。
 DSにも投稿して掲載されたが、変な主張や中傷するようなものも書いたり、今となっては反省しつつ、恥ずかしいものではある。

 そんな投稿者にとって、必ず遭うのが「没」というもの。

 要は不採用で、その投稿は雑誌掲載という日の目を見ず、文字通り消滅する。投稿者は、その没を乗り越えて掲載されるかという、まさに戦いの中で出していた。

没は無いのがいい?
 その没について、当時のDS内、ユーザーのお便りコーナーに、こういう意見を書いている人を何度か見たことがある。
 ネットについて、当時は電話回線を使った文字だけのパソコン通信だが、

「パソコン通信は投稿と違って、没が無いからいい」

 ネット書いたものは、回覧される数や機会はそれぞれだが、全て誰かの目に何らかの形で読まれる、つまり全て採用される。没がある投稿より、そちらの方がいいという話。
 だが、私がこれを見た時、大変失礼ながら、
「ああ、投稿をあまり出してない人はそういう感覚なんだな」って思った。
 私にとっては全く逆で、投稿は没があるからいい、パソコン通信は没が無いから怖いと思っていた。

私の「没」との戦い
 私の投稿者時代のエピソード。様々な雑誌に投稿を出していると、ある程度見えてくるものがある。それは、各雑誌が求めている投稿の方向性みたいなもの。

 ここはネタ中心か、レビューや真面目な意見が中心か、両方受け付けてくれるか。口調も普通に書くべきか、特に真面目か、ある程度崩すべきか。これらは読者投稿コーナーの担当者の趣味によるものが大きく、担当者が変わったらそれががらりと変わるなど。
 でもそれがまだ無い新創刊のもの、投稿募集は創刊前に他誌でかけていたり、1号目で告知して2〜3号から始まるものでは、逆に自分の方向性に持って行こうとインパクトの強いのを書いたり。

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 中には、コーナーの1ページの文字数・行数を数えて、実際の分量もそれくらいに調整して書いて、1ページまるまる自分の文章で掲載という、狙って書いて載った時の達成感は最高だったとか、色々と見ながら色々やった。

 要は、没があるから何かを考え工夫する、でも何もかもを創作せず、その中に自分の言いたいことを文章に入れて出す、それが載るからこそ嬉しい。
 だから、没があるからこそ面白いという感覚があった。

「没」がある世界と無い世界

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 今は少なくともゲーム関係で、文章を書いて掲載を競う雑誌投稿はほとんど存在しなくなり、私もネットでの書き込みだけ、没のあるものから没の無いものへ完全に移行している。

 その世界では、何を書いても誰かに読んでもらえる反面、確実な情報がないものやデマ、中傷、無責任で自己中心的なものも含む。それが誰かの目に止まることによる炎上や拡散、そしてデマがまかり通ったことで被害に遭う人。
 当時から今のネットまで予測していたわけでもないが、これが「没があるからいい、ネットは無いから怖い」と思っていた理由。

 また私も、投稿でそういう自己中心的なものを書いて掲載されたことが何度かある。後にそれを読んで反省すると共に、雑誌だけに炎上などは無く声が聞こえないことが、逆に辛いと感じた。

 没がある世界と無い世界、本当はどちらがいいのだろうか。今回、このDS Reの発売を機会に、当時を少し振り返りつつ、そんなことを考えてしまった。

 ちなみにこの文章、本当はDS Reで投稿募集をかけていたら書いて出すつもりだったが、投稿募集は無かったのでブログに書いた。




posted by 司隆 at 11:20 | Comment(0) | Game
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